債務整理以前 -始まり-
断れなかった。
仕事の業務量には波があり、その度に、人員の増減が繰り返し行われてきたのだ。地方で今後、業務が縮小していくだろう、というのは知っていた。
転勤を断れば、すぐに、とはいかなくても、今後いつクビになってもおかしくはなかった。
現に、一時期40名以上もいた私のプロジェクトチームは今は1名になってしまったようだ、と少し前に聞いた。
転勤するに当たり、引越ししたばかりの事、マンションの改装をした事を説明すると、マンションの解約費用と改装費は会社が負担してくれる事になった。その点はすごく恵まれていた、と、思う。
でも、その広いマンションに合わせて買った、暖房器や照明、カーテンなどは持って行けるはずもなく、買ったばかりの新品を、友人に譲ったり実家に置きに帰ったり、と、東京へ行くまでの一か月の僅かな時間は、瞬く間にばたばたと過ぎた。
幾つかホームウォーミングパーティを計画していたのが、急遽、お別れ会、に代わった。
引越しというのは、何かとお金がかかるものだ。増してや私は独り暮らしを始めたばかりで、家具や生活雑貨などを買い揃え、出費は嵩んでいた。
債務整理以前 -そして、突然の転勤-
半年程かけてやっと見つけた部屋は、築20年で、3LDKのうち、リビングダイニングと、納戸のような4畳ほどの部屋以外の2部屋は、畳だった。
2部屋とも畳は使い難いな、と、思って、契約の時に、大家さんにフローリングへの改装の許可を貰った。もちろん、改装費は自費だ。
そして、年末。
フローリングの改装工事も終え、無事に引っ越しを終えた私は、40歳の記念に開催された同窓会に出席して、20年以上ぶりに学生時代の友人、知人達に再会をした。学生の頃の面影を残しながらも、皆、それぞれの生き方をしていて、懐かしく思いながらも、確かに時間は流れているのだと、妙に実感した日だった。
何か、今までになく、新しいスタートを切る気分で、新年を迎えた。
実は、これが始まりの前兆だとも予想だに出来ずに。
そうして、新年も明けて、会社に出勤した私に、転勤が告げられたのだった。
来月から、東京に行って欲しい。と。
債務整理以前 -始まりの始まり-
私の友人の家での独り暮らしが始まった。
家具や最低限の生活用品はそろっていたので、6本入りの小さなワインセラーと、大切に育てていたぬか床と観葉植物、あとは、身の回りの着替えなどを持っていくだけで、新生活はすぐに始める事が出来た。
海の側の穏やかな静かな街での自由な独り暮らしは、思った以上に快適だった。
家が散らかる事もなく、私の嫌いなテレビの雑音もなく、誰にも左右される事なく、穏やかに暮らした。
ただ、友人宅というのもあって、やはり、少し気を使った。あと、勤め先のオフィスまでが遠かったのもあり、しばらくすると、私は、部屋探しを始めた。
部屋探しをした事のある人なら分かると、思う。自分の希望通りの部屋は、なかなか見つからないものだ。
それでも、半年程かかって、ようやく念願の、南向きでシステムキッチン付きの、明るく風通しの良い部屋を見つける事ができた。
債務整理以前 -予兆-
東京に転勤になる、半年前。
私はそれまで、実家で父と2人で暮らしていた。母は、私が学生の時に亡くなり、私が家事をこなしていた。
私の実家は、日当たりも風通しも良く、木が沢山植わっていて、静かで、交通の便も良くて、私はそんな環境が大好きだったし、料理は好きで、家事は得意だったので、実家を出て独り暮らしを始める気はさらさら無かった。
父は長い間、サラリーマンとして働いていたが、母が亡くなってしばらくしてから、知人と小さな会社を始めた。(先に言っておくと、その会社の経営が苦しくなって、借金が、、、という話では、ない。)
その父が、体力的にも辛いと言って仕事を辞めたのは、74歳の時だ。
ここまで書くと、なんとなく、察しがつくのではなかろうか。
父は、ずっと家に居るようになり、家が散らかり始めた。父は、片付けなど、得意ではない。捨てることが出来ず、請求書でもなんでもとりあえず、取っておくタイプだ。
反対に、私は捨て魔。ゴミが出た片っ端から捨てていく。モノは極力増やしたくない。
父は、日中暇になったのもあるのだろう。マッサージチェアやらインテリア小物やら、何かしらものを買ってくるようになって、家が雑然とし始めた。
ケンカ、と言っても、私が一方的に怒るだけなのだけど、その機会が増えて、私はもうとうとう我慢が出来なくなってしまった。
独り暮らしを考え始めた時、友人が、空き家にしている一軒家に住んでみないか、と、提案してくれた。家も、誰も住んでいないと荒んでいくし、住んでくれたら助かる、という事で、私は一も二もなくその話を受けた。
今時代でいうと、「定年別居」と言うんだろうか。
債務整理中のワケ
さて、突然現在の私に戻り、東京に移り住んで4年経った今、私は債務整理中である。
債務整理にもいくつか方法があって(私もこの状況になって初めて知った。)、私の場合、今、弁護士に任意整理の依頼をしているところだ。
どうしてこんな状況になったのか、これと言って限定出来る原因は、ない。
ブランド品好きとかショッピング好きなワケでもなく、ギャンブルもしない。どちらかと言えば、パチンコやゲームセンターでお金を使うのを勿体無い、と感じるタイプだ。酒も飲むし、好きだけど、夜にビール1本に、焼酎の湯割りやワインを3杯程度。タバコも吸うけど、夜に2本だけ、と決めていて、たまに3本になる事もあれば、吸わない日もあるくらい。長年、止めていたのだけど、東京に来てからまた吸い始めたのだ。半年程前に4日ほど入院したのだけど、その時はタバコも吸わず、酒も全く飲まず、で、コーヒーが飲みたい、と、思ったくらいで、気にも留めていなかったので、依存しているワケでもないんだと思う。
ホストクラブなんかにも全く興味なし。大勢での飲み会なんかも苦手で、癒しやストレス発散は、本を読んだり音楽を聞いたり、自然の中を散歩したり、という事で得る。
じゃあ、なんでこんな状況に?
自分でも良く分かっていないのだ。もし、分かっていれば、こんな事にはならなかっただろう。
混乱している間にいつの間にか、私は、カード会社からお金を借りては返し、また借りては返し、という自転車操業状態になっていた。
立て続けに続いた、引越しという住環境の変化、そして、転勤、退職、という職場環境の変化に、気持ちの整理も出来ず、ちゃんと対応出来なかった。
望んだ転勤ではなかった、というのが一番影響が大きかったかもしれない。
そもそも、社交的でもなく冒険好きでもなく、新しいモノや情報も望んでいない平凡そのもののこの私が、東京に転勤する、なんて、それだけで不協和音だ。
でも実は、転勤以前のある出来事に、トリガーがあったのだ、と、今にして、思う。
どんな人生を望むか -ノート①指標-
私は、いつも1冊のノートを持ち歩いていて、その見開きページには、こう書いてある。
- 指標 -
シンプルか
コンパクトか
嘘がないか
違和感がないか
自分に正直か
見栄を張っていないか
エレガントか
自分に自信を持つ
自分を信じる
好きな事しかしない
突然東京に転勤になってから、その2年後、会社を辞めようと決心した前後に、私は自分の生き方を見極めようと、そして、揺らいだりしないように、ノートに書き留めたものだ。
何かを選択する時、モノを買う時、そして自分の行動を俯瞰する時の基準にしている。
あれから2年経つ。
定期的に見返しているが、最初からほぼ変わってない。
そして、そのノートには月毎の欄があって、月の初めに、近い将来の目標を書いている。
3月の欄には、こうある。
貯金出来る充分な収入を得る
充実感を感じる職に就く
好きなものに囲まれて暮らす
一週間に1.5日は休む
1年に1、2回、実家に帰る
1年に1、2回、ハワイに行く
一週間に1、2回はレストランで食事
改めて見ると、以前、地方に暮らしていた時には、ほぼ、普通にしてた生活だ。
まぁ、1、2年に1度、島国に旅行する、とか、実家が近所で毎週のように帰ってたとか、少々違いはあるけど。
たった4年前の事なのに、あの頃、のほほんと平和に暮らしていたのを、幻のように、とても遠く感じる。
更にそのノートには、もっと先の未来、自分がどういう事をしたいかを書く欄がある。まぁ、「夢メモ」のようなものだろうか。
その欄には、こう書いている。
カフェと本屋と、雑貨屋を営む。
私の実家には同じ敷地内に3軒の家が建っていて、それぞれ、叔母達と父が住んでいる。
そして、隣の家には広大な庭があって、昔は家主が丁寧に剪定をしていたのだけど、4年前に私が東京に来る前には荒れ果て始めていた。
思うに、家主が歳を取って、頻繁に手入れ出来なくなっているのではなかろうか。子供も成人して巣立って行って、帰ってくるつもりはない、とか。私の勝手な憶測だけれど。
私の夢の計画は、こうだ。
隣の敷地を買い取り、そこに、叔母達や父の為に、3軒の家を建てる。敷地内には木をたくさん植えて、まるで公園の中に家がぽつぽつと家が建っているようにしたい。
そして、彼らが亡くなった後、その家を改装して、それぞれ、カフェと本屋と雑貨屋にするのだ。
バカじゃない?
採算は?
っていうか、お金どうすんの?
正直、そう思う。笑
でも、この状況になって、それでも、
私には生きる資格があるはず。
絶対に生き抜くのだ。
と思った時、
もう常識なんてどうだって良くなった。
開き直った。
私、バカじゃない?
ええ、バカさ。
しょうがないよ、バカだもん。
バカの何が悪い?!
こうなったらバカを邁進してやるのだっ!!
アラフォーになってからというもの、開き直りはわたしの得意技だ。
どうせ描くなら、何にも縛られず、自分が思い描きたいように、とことん自由に夢を描こう。
だってバカだもーん。
そう、開き直った。
敷地内には畑も作って、料理教室を開いたり、地元の小学生達を巻き込んで、食育活動もしたい、とか、私の家も建てようかな、とか、駐車場はどうしようか、とか、私だけじゃ無理だから、あの人とこの人に協力をお願いしようか、とか、夢は勝手にどんどんと膨らんでいる。
どんな人生を望むか -断捨離の効果-
東京に転勤してくる前、私が地方都市に住み、外車に乗り、3LDKのマンションに住み、自由気ままな暮らしをしていたのは、序章に書いた通りだ。
実は、2輪の中免も持っていて、実家には中型バイクも持っていた。あ。一応、性別は女性です。性格はオヤジだけれど。苦笑
それは、置いといて。
この状況が東京の話なら別だけど、地方都市なんて1人1台、車を持っているのは、ほぼほぼ、当たり前。しかも、外車は中古で、マンションも築20年で、家賃は10万円以下だ。
アラフォーとしては、まあ、普通か、中の上、くらいの暮らしだったと思う。
しかし、まさか都内で、そんな暮らしが出来るわけもなく、ましてや、今はこのブログの題名の状況だ。私は、大好きだったクルマもバイクも、他にも沢山、ホントにたくさんの物を手放し、諦め続ける事になる。
何を手放し何を残すか、すごく悩んだし、愛着や思い出のあるもの、思い切って買ったものなどを手放すのはとても辛いし悲しかった。情けなかった。
でも、その行程で、私は、自分が何を大切にしているのか、自分がどういう人間なのか、そして、どう生きていきたいと思っているのか、今までちゃんと考えてこなかった、自分自身を初めて知る事が出来たのだった。
これぞ、断捨離の効果。
断捨離って、ただ単にモノが少なくなってスッキリする事かと思っていたけど、自分の中も一緒にスッキリ整理されるのだと、実感した。
40年生きてきた人生の棚卸しを、この東京での4年間で、一気にした気分だ。
私は、今、27平米ほどのワンルームに住んでいる。多少の手狭間はあるけれど、意外なほど快適に暮らしている。あんなに広さにこだわっていたのは、なんだったんだろう、と拍子抜けするくらいに。