#アラフォー #おひとり #派遣社員 #給与差押え #債務整理中

このブログは、私の復活物語になる。

債務整理以前 -予兆-

東京に転勤になる、半年前。

私はそれまで、実家で父と2人で暮らしていた。母は、私が学生の時に亡くなり、私が家事をこなしていた。

私の実家は、日当たりも風通しも良く、木が沢山植わっていて、静かで、交通の便も良くて、私はそんな環境が大好きだったし、料理は好きで、家事は得意だったので、実家を出て独り暮らしを始める気はさらさら無かった。

父は長い間、サラリーマンとして働いていたが、母が亡くなってしばらくしてから、知人と小さな会社を始めた。(先に言っておくと、その会社の経営が苦しくなって、借金が、、、という話では、ない。)

その父が、体力的にも辛いと言って仕事を辞めたのは、74歳の時だ。

ここまで書くと、なんとなく、察しがつくのではなかろうか。

父は、ずっと家に居るようになり、家が散らかり始めた。父は、片付けなど、得意ではない。捨てることが出来ず、請求書でもなんでもとりあえず、取っておくタイプだ。

反対に、私は捨て魔。ゴミが出た片っ端から捨てていく。モノは極力増やしたくない。

父は、日中暇になったのもあるのだろう。マッサージチェアやらインテリア小物やら、何かしらものを買ってくるようになって、家が雑然とし始めた。

ケンカ、と言っても、私が一方的に怒るだけなのだけど、その機会が増えて、私はもうとうとう我慢が出来なくなってしまった。

独り暮らしを考え始めた時、友人が、空き家にしている一軒家に住んでみないか、と、提案してくれた。家も、誰も住んでいないと荒んでいくし、住んでくれたら助かる、という事で、私は一も二もなくその話を受けた。

今時代でいうと、「定年別居」と言うんだろうか。



債務整理中のワケ

さて、突然現在の私に戻り、東京に移り住んで4年経った今、私は債務整理中である。

債務整理にもいくつか方法があって(私もこの状況になって初めて知った。)、私の場合、今、弁護士に任意整理の依頼をしているところだ。

どうしてこんな状況になったのか、これと言って限定出来る原因は、ない。

ブランド品好きとかショッピング好きなワケでもなく、ギャンブルもしない。どちらかと言えば、パチンコやゲームセンターでお金を使うのを勿体無い、と感じるタイプだ。酒も飲むし、好きだけど、夜にビール1本に、焼酎の湯割りやワインを3杯程度。タバコも吸うけど、夜に2本だけ、と決めていて、たまに3本になる事もあれば、吸わない日もあるくらい。長年、止めていたのだけど、東京に来てからまた吸い始めたのだ。半年程前に4日ほど入院したのだけど、その時はタバコも吸わず、酒も全く飲まず、で、コーヒーが飲みたい、と、思ったくらいで、気にも留めていなかったので、依存しているワケでもないんだと思う。

ホストクラブなんかにも全く興味なし。大勢での飲み会なんかも苦手で、癒しやストレス発散は、本を読んだり音楽を聞いたり、自然の中を散歩したり、という事で得る。

 

じゃあ、なんでこんな状況に?

自分でも良く分かっていないのだ。もし、分かっていれば、こんな事にはならなかっただろう。

混乱している間にいつの間にか、私は、カード会社からお金を借りては返し、また借りては返し、という自転車操業状態になっていた。

立て続けに続いた、引越しという住環境の変化、そして、転勤、退職、という職場環境の変化に、気持ちの整理も出来ず、ちゃんと対応出来なかった。

望んだ転勤ではなかった、というのが一番影響が大きかったかもしれない。

そもそも、社交的でもなく冒険好きでもなく、新しいモノや情報も望んでいない平凡そのもののこの私が、東京に転勤する、なんて、それだけで不協和音だ。

でも実は、転勤以前のある出来事に、トリガーがあったのだ、と、今にして、思う。

 

どんな人生を望むか -ノート①指標-

私は、いつも1冊のノートを持ち歩いていて、その見開きページには、こう書いてある。

 

- 指標 -

シンプルか

コンパクトか

嘘がないか

違和感がないか

自分に正直か

見栄を張っていないか

エレガントか

自分に自信を持つ

自分を信じる

好きな事しかしない

 

突然東京に転勤になってから、その2年後、会社を辞めようと決心した前後に、私は自分の生き方を見極めようと、そして、揺らいだりしないように、ノートに書き留めたものだ。

何かを選択する時、モノを買う時、そして自分の行動を俯瞰する時の基準にしている。

あれから2年経つ。

定期的に見返しているが、最初からほぼ変わってない。

 

そして、そのノートには月毎の欄があって、月の初めに、近い将来の目標を書いている。

 

3月の欄には、こうある。

 

貯金出来る充分な収入を得る

充実感を感じる職に就く

好きなものに囲まれて暮らす

一週間に1.5日は休む

1年に1、2回、実家に帰る

1年に1、2回、ハワイに行く

一週間に1、2回はレストランで食事

 

改めて見ると、以前、地方に暮らしていた時には、ほぼ、普通にしてた生活だ。

まぁ、1、2年に1度、島国に旅行する、とか、実家が近所で毎週のように帰ってたとか、少々違いはあるけど。

たった4年前の事なのに、あの頃、のほほんと平和に暮らしていたのを、幻のように、とても遠く感じる。

 

更にそのノートには、もっと先の未来、自分がどういう事をしたいかを書く欄がある。まぁ、「夢メモ」のようなものだろうか。

 

その欄には、こう書いている。

 

カフェと本屋と、雑貨屋を営む。

 

私の実家には同じ敷地内に3軒の家が建っていて、それぞれ、叔母達と父が住んでいる。

そして、隣の家には広大な庭があって、昔は家主が丁寧に剪定をしていたのだけど、4年前に私が東京に来る前には荒れ果て始めていた。

思うに、家主が歳を取って、頻繁に手入れ出来なくなっているのではなかろうか。子供も成人して巣立って行って、帰ってくるつもりはない、とか。私の勝手な憶測だけれど。

私の夢の計画は、こうだ。

隣の敷地を買い取り、そこに、叔母達や父の為に、3軒の家を建てる。敷地内には木をたくさん植えて、まるで公園の中に家がぽつぽつと家が建っているようにしたい。

そして、彼らが亡くなった後、その家を改装して、それぞれ、カフェと本屋と雑貨屋にするのだ。

 

バカじゃない?

採算は?

っていうか、お金どうすんの?

 

正直、そう思う。笑

 

でも、この状況になって、それでも、

私には生きる資格があるはず。

絶対に生き抜くのだ。

と思った時、

もう常識なんてどうだって良くなった。

開き直った。

 

私、バカじゃない?

ええ、バカさ。

しょうがないよ、バカだもん。

バカの何が悪い?!

こうなったらバカを邁進してやるのだっ!!

アラフォーになってからというもの、開き直りはわたしの得意技だ。

 

どうせ描くなら、何にも縛られず、自分が思い描きたいように、とことん自由に夢を描こう。

だってバカだもーん。

そう、開き直った。

 

敷地内には畑も作って、料理教室を開いたり、地元の小学生達を巻き込んで、食育活動もしたい、とか、私の家も建てようかな、とか、駐車場はどうしようか、とか、私だけじゃ無理だから、あの人とこの人に協力をお願いしようか、とか、夢は勝手にどんどんと膨らんでいる。

 

 

 

 

 

 

 

どんな人生を望むか -断捨離の効果-

東京に転勤してくる前、私が地方都市に住み、外車に乗り、3LDKのマンションに住み、自由気ままな暮らしをしていたのは、序章に書いた通りだ。

実は、2輪の中免も持っていて、実家には中型バイクも持っていた。あ。一応、性別は女性です。性格はオヤジだけれど。苦笑

それは、置いといて。

この状況が東京の話なら別だけど、地方都市なんて1人1台、車を持っているのは、ほぼほぼ、当たり前。しかも、外車は中古で、マンションも築20年で、家賃は10万円以下だ。

アラフォーとしては、まあ、普通か、中の上、くらいの暮らしだったと思う。

しかし、まさか都内で、そんな暮らしが出来るわけもなく、ましてや、今はこのブログの題名の状況だ。私は、大好きだったクルマもバイクも、他にも沢山、ホントにたくさんの物を手放し、諦め続ける事になる。

何を手放し何を残すか、すごく悩んだし、愛着や思い出のあるもの、思い切って買ったものなどを手放すのはとても辛いし悲しかった。情けなかった。

でも、その行程で、私は、自分が何を大切にしているのか、自分がどういう人間なのか、そして、どう生きていきたいと思っているのか、今までちゃんと考えてこなかった、自分自身を初めて知る事が出来たのだった。

これぞ、断捨離の効果。

断捨離って、ただ単にモノが少なくなってスッキリする事かと思っていたけど、自分の中も一緒にスッキリ整理されるのだと、実感した。

40年生きてきた人生の棚卸しを、この東京での4年間で、一気にした気分だ。

私は、今、27平米ほどのワンルームに住んでいる。多少の手狭間はあるけれど、意外なほど快適に暮らしている。あんなに広さにこだわっていたのは、なんだったんだろう、と拍子抜けするくらいに。

どんな人生を望むか -私がブログを始めた理由-

さて、では、そんな私はいったいどんな生活を望んでいるか。

このブログのゴール。

そもそも、何でこのブログを始めたのか、と言えば、日々感じる恐怖や不安で、そのゴールを見失ったりしないように、だ。

そして、私のあがき、もとい、生きている証を残すため。

そして、恐らくこの世に沢山いるであろう、同じような境遇にいる人達にとって、ほんの少しでも、心の支えになるような、ブログになればいい、と願って。

人は、ただ自分のため、だけでは、生きる力を発揮しにくいのではないか、と、思う。

自己満足だろうが、偽善だろうが、思い込みだろうが、自分が何かしら他人のためになる事をしていると思える時の方が、社会と関わっていると感じている方が、力を発揮出来るような気がする。


生きている、という実感を得る事が出来る。

のではないだろうか。


これは、自分のためのブログだ。


でも、このブログに共感してくれる人にそっと寄り添えるブログにしたい。


いや、そうする、ノダ!


そして、ゴールの報告が少しでも早く出来るよう、自分を信じて日々を生きるのだ。


私のゴール。


多くの人に笑顔と幸せを提供出来る仕事に就き、十分な収入を得て、不自由を感じない生活を送り、幸せと充実感を得る事。


そして、社会に貢献している実感と、成長出来る喜びを得る事。


わたし自身が、日々、生きている実感をしみじみと感じ、有難いと思える事。




どんな人生を望むか -東京に住みたい、という人に-

ただ、私は人混みや集団が苦手なので、東京をなかなか好きになれずにいるのだけど、さすがに大きな街なので、初めての駅に降り立つ度、新しい道を通る度に、街角の公園や食堂やカフェ、雑貨屋を見つけたり、街ごとに違う表情を発見するのは楽しく、なかなか飽きる事がない。

 

いろんな生き方の人達と、多種多様な文化で溢れていて、選ばなければ仕事も沢山あるから、学生や、成長したい意欲のある人、マニアックな趣味の持ち主であれば、本当に、出会いも多いし、発見も学ぶ事も沢山あると思う。

ただ。

上を見上げれば、先端なんて見えないし、下を覗けば、底なし沼のように深い。

500円で、インスタントのが美味しいだろ、とツッコミたくなるコーヒーを出される事もあれば、世界チャンピオンが淹れた透明感のある素晴らしく美味しいコーヒーを飲む事が出来たりする。

2千円で、今やどこにでもあるファミレスの味気ないハンバーグステーキを食べるのか、日本とは思えない、外国語の飛び交うカジュアルな無国籍料理のレストランで、モデルのようなスタッフの気さくな笑顔のサービスで、ビール片手にチキンのカレースパイス煮込みを食べるか、は、自分の選択次第である。

素晴らしい人脈や環境に恵まれれば、成長も出来るが、逆に染まれば、どこまでも自堕落になれる。

また、あまりに人が多過ぎて、人間としての尊厳とか人に対する思いやりとか、どうでも良くなるかもしれない。

駅なんて、四六時中ラッシュで、みな、いつも、我先にと先を急いでいる。

人がたくさんいるので、当然、ぶつかったりするのだけど、ぶつかるのもあまりに当然過ぎて、謝る事すらもう忘れている。

親切にしてもらっても、先を急ぎ過ぎていて、お礼を言う事もしないでいる。

朝の通勤時なんて、人を突き飛ばして急いで電車に乗る人、満員の車内に背中でグイグイ押して乗り込んで来る人、席が開けば我先にと、座る人。譲り合いや思いやりなんて言葉はほとんどなく、みな、自分を守るのに必死だ。

優しく余裕のある自分でいたいのに、いつの間にか周りに飲み込まれてしまう。

そんな毎日を送りながら、普通の生活を送っていては、ここ、東京で「余裕」を持つことは、よほど意識をして日々気をつけていない限り、難しい。

 

それなのに、住むにも金はかかる上に、いく先々には購買意欲をそそる、店、店、店。

まるで巨大なショッピングモールだ。

いろんな誘惑やワナもあちこちに転がっている。

自分が何者なのか、なにをしたいのか、どうなりたいのか、しっかりと自分の芯を持っていないと、私の二の前になり兼ねないので、くれぐれも注意して欲しい。

まじで。

 

東京って、つくづく、実態のない、ブラックホールみたいな街だな、と、思う。

 

そんな私は、実際に住んでみてから、東京を「都会」とは思わなくなった。

東京は、私にとっては、「どデカイ街」だ。

 

確かに、ほんの一部、高層ビルが密集して建っていたり、クレイジーでオシャレで洗練された街や、セレブの集まっている、いわゆる「都会」というイメージそのものの地区もあるけど、断然に、雑居ビルや垢抜けない一般人の占める割合の方が多い。

地域では成り立たず、なくなってしまったような、商店街や個人店が都内のあちこちに健在で、おじいちゃん、おばあちゃん達が腰の曲がった姿で働いていたりする。

地域で失われた情景に、東京で再開して懐かしく感じる、なんて、全く意外だった。

 

東京は、居心地よく住める所か、と聞かれれば、私はキッパリ「No!」と、言う。

 

収入を不自由なく得られているなら、災害や事件に巻き込まれない限り、地方の方が断然に良い生活ができる。

 

私の地元は、山あり海あり、川あり、の自然豊かな地方都市だったから、休日になれば、島や無人島へヨットや車でドライブしに行って、海岸で海水浴したり、山小屋でバーベキューやキャンプしたり、冬はスキーかスノボに行き、決まって、帰りは温泉に浸かってほくほくと帰ったものだ。

東京みたいな高速道路の渋滞なんて、ほとんど、ない。

それが、当たり前、だった。

 

東京でそんな暮らしは出来ない。

 

どこかレジャーに行けば、車の渋滞や、人混みで疲れてしまうだけだ。

 

安くて美味しいものを食べ、安い家賃で広い家に住み、自然を身近に感じながら、平和で落ち着いた生活を送りたいなら、地方都市で暮らすのが一番だと思う。

 

ほとんどの情報も、欲しい物も、今や、インターネットでスグに手に入る時代なのだから。

 

でも。

 

それでも、何かしら目的があって、経験を積みたい、勉強がしたい、と思っている人、さらなる成長を望んでいる人、そして、

地域で生きにくさを感じ、もっと自分らしく、自分を精一杯表現して生きたい、と、望んでいる人には、是非一度、東京で生活してみる事をお勧めしたい、と、思う。

 

ありとあらゆる経験や出会いが待ち受けているのは、間違いない。

 

そして、成長するか、挫折するか、自分を発見するか、見失うか、は、自分次第だ。

 

地元の良さに気付いてUターンするも良し、新境地を求めて海外へ旅立つのも良し、だ。

 

周りに振り回されず、どんな状況になろうとも、揺るぎない確固たる自分を持ち続け、自分の進むべき道、なりたい自分をしっかり見極めていれば、もしかしたら、東京は味方になるかもしれない。

 

でも、ね。

 

アラフォー、ひとり、で、人混み嫌い。

これといって目的もなし。

そんな人には東京、オススメしません。

 

くれぐれも、一時的な衝動や、単なる好奇心で、東京に移住してきたりしないように。

ココロが荒みます。

ホントだよ。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どんな人生を望むか -東京ってどんな街?-

東京は、ヒト、ヒト、ヒトだらけだ。

サラリーマン、学生、外国人、観光客、老若男女、家族連れに、団体。

東京、という場所は、ただこの事に尽きると思う。

人が、いろんな人が、沢山、たくさん、たっくさーん、いる。

 

大きな経済、ビジネスのチャンス、多様な文化、サービスや物資も、ふと感じるどうしようもない孤独も、雑居ビルの隙間のゾッとするような闇も、自然がないのも、ただただ、人がたくさんいからこそ、の産物なんだろう。

 

そして、アニメやドラマのような、地方にいると現実味のない内容だって、ここ東京では、現実にあっても何の不思議もない、と、思ってしまう。

それくらい奇異な光景を日常で何度も目にする。

 

電車の中では我先にと座席の争奪戦が繰り広げられ、大学生くらいの人が鼻に指を突っ込んだ後にその指を口に入れたりしている。

駅では、頭から血を流した人が倒れている、とか、スマホいじりながら歩いていた女の子が、突然階段からパンツを丸出しにして転がり落ちたり、とか。

毎朝流れる電車の中のアナウンス。

「閉まりかけたドアに足を挟んだり、傘やカバンを差し込んでこじ開けたりしないようにして下さい。」

東京都内の朝なんて、2、3分、遅くとも5分、10分も待てば次の電車は来るのに、何をそんなに急ぐ?というか、恥ずかしくないのだろうか?

 

また、ある職場では、一週間、病欠で休んでいた同僚が真っ黒に陽焼けした姿で出社してきたり、かと思えば、とても有能でホープだった上司が突然病気で倒れたり、とか、

レストランでは、隣で食事をしていたおじいちゃんが突然気を失ったり、DJをしてたらしい不動産会社の営業が「今年の目標わぁ、ちょっとビックにしようと思うんすよねー。例えばぁ、1年で友達を100人作るとかぁ。」と、社会人とも営業とも思えないダラダラした姿勢で言ってたりする。

私は呆然としつつ、

「その、あなたの『友達』の定義って?」

と心で突っ込みをいれたりしている。

 

私も他人に突っ込みいれてる状況ではないのは、百も承知で。

 

毎日のように、

「漫画かよ。。。」

と、突っ込みたくなるような場面に出くわす。

刺激的なのが楽しい事ならいいけど、残念ながら、目を背けたくなったりゲンナリする事の方が圧倒的に多い。

 

昔、知人が

「東京は住む場所じゃないよ。お金を持って遊びに行く場所よ。」

と言っていた。

東京の良いトコ取りをするなら、本当にその通りだと実感する。