どんな人生を望むか -東京に住みたい、という人に-
ただ、私は人混みや集団が苦手なので、東京をなかなか好きになれずにいるのだけど、さすがに大きな街なので、初めての駅に降り立つ度、新しい道を通る度に、街角の公園や食堂やカフェ、雑貨屋を見つけたり、街ごとに違う表情を発見するのは楽しく、なかなか飽きる事がない。
いろんな生き方の人達と、多種多様な文化で溢れていて、選ばなければ仕事も沢山あるから、学生や、成長したい意欲のある人、マニアックな趣味の持ち主であれば、本当に、出会いも多いし、発見も学ぶ事も沢山あると思う。
ただ。
上を見上げれば、先端なんて見えないし、下を覗けば、底なし沼のように深い。
500円で、インスタントのが美味しいだろ、とツッコミたくなるコーヒーを出される事もあれば、世界チャンピオンが淹れた透明感のある素晴らしく美味しいコーヒーを飲む事が出来たりする。
2千円で、今やどこにでもあるファミレスの味気ないハンバーグステーキを食べるのか、日本とは思えない、外国語の飛び交うカジュアルな無国籍料理のレストランで、モデルのようなスタッフの気さくな笑顔のサービスで、ビール片手にチキンのカレースパイス煮込みを食べるか、は、自分の選択次第である。
素晴らしい人脈や環境に恵まれれば、成長も出来るが、逆に染まれば、どこまでも自堕落になれる。
また、あまりに人が多過ぎて、人間としての尊厳とか人に対する思いやりとか、どうでも良くなるかもしれない。
駅なんて、四六時中ラッシュで、みな、いつも、我先にと先を急いでいる。
人がたくさんいるので、当然、ぶつかったりするのだけど、ぶつかるのもあまりに当然過ぎて、謝る事すらもう忘れている。
親切にしてもらっても、先を急ぎ過ぎていて、お礼を言う事もしないでいる。
朝の通勤時なんて、人を突き飛ばして急いで電車に乗る人、満員の車内に背中でグイグイ押して乗り込んで来る人、席が開けば我先にと、座る人。譲り合いや思いやりなんて言葉はほとんどなく、みな、自分を守るのに必死だ。
優しく余裕のある自分でいたいのに、いつの間にか周りに飲み込まれてしまう。
そんな毎日を送りながら、普通の生活を送っていては、ここ、東京で「余裕」を持つことは、よほど意識をして日々気をつけていない限り、難しい。
それなのに、住むにも金はかかる上に、いく先々には購買意欲をそそる、店、店、店。
まるで巨大なショッピングモールだ。
いろんな誘惑やワナもあちこちに転がっている。
自分が何者なのか、なにをしたいのか、どうなりたいのか、しっかりと自分の芯を持っていないと、私の二の前になり兼ねないので、くれぐれも注意して欲しい。
まじで。
東京って、つくづく、実態のない、ブラックホールみたいな街だな、と、思う。
そんな私は、実際に住んでみてから、東京を「都会」とは思わなくなった。
東京は、私にとっては、「どデカイ街」だ。
確かに、ほんの一部、高層ビルが密集して建っていたり、クレイジーでオシャレで洗練された街や、セレブの集まっている、いわゆる「都会」というイメージそのものの地区もあるけど、断然に、雑居ビルや垢抜けない一般人の占める割合の方が多い。
地域では成り立たず、なくなってしまったような、商店街や個人店が都内のあちこちに健在で、おじいちゃん、おばあちゃん達が腰の曲がった姿で働いていたりする。
地域で失われた情景に、東京で再開して懐かしく感じる、なんて、全く意外だった。
東京は、居心地よく住める所か、と聞かれれば、私はキッパリ「No!」と、言う。
収入を不自由なく得られているなら、災害や事件に巻き込まれない限り、地方の方が断然に良い生活ができる。
私の地元は、山あり海あり、川あり、の自然豊かな地方都市だったから、休日になれば、島や無人島へヨットや車でドライブしに行って、海岸で海水浴したり、山小屋でバーベキューやキャンプしたり、冬はスキーかスノボに行き、決まって、帰りは温泉に浸かってほくほくと帰ったものだ。
東京みたいな高速道路の渋滞なんて、ほとんど、ない。
それが、当たり前、だった。
東京でそんな暮らしは出来ない。
どこかレジャーに行けば、車の渋滞や、人混みで疲れてしまうだけだ。
安くて美味しいものを食べ、安い家賃で広い家に住み、自然を身近に感じながら、平和で落ち着いた生活を送りたいなら、地方都市で暮らすのが一番だと思う。
ほとんどの情報も、欲しい物も、今や、インターネットでスグに手に入る時代なのだから。
でも。
それでも、何かしら目的があって、経験を積みたい、勉強がしたい、と思っている人、さらなる成長を望んでいる人、そして、
地域で生きにくさを感じ、もっと自分らしく、自分を精一杯表現して生きたい、と、望んでいる人には、是非一度、東京で生活してみる事をお勧めしたい、と、思う。
ありとあらゆる経験や出会いが待ち受けているのは、間違いない。
そして、成長するか、挫折するか、自分を発見するか、見失うか、は、自分次第だ。
地元の良さに気付いてUターンするも良し、新境地を求めて海外へ旅立つのも良し、だ。
周りに振り回されず、どんな状況になろうとも、揺るぎない確固たる自分を持ち続け、自分の進むべき道、なりたい自分をしっかり見極めていれば、もしかしたら、東京は味方になるかもしれない。
でも、ね。
アラフォー、ひとり、で、人混み嫌い。
これといって目的もなし。
そんな人には東京、オススメしません。
くれぐれも、一時的な衝動や、単なる好奇心で、東京に移住してきたりしないように。
ココロが荒みます。
ホントだよ。。。
どんな人生を望むか -東京ってどんな街?-
東京は、ヒト、ヒト、ヒトだらけだ。
サラリーマン、学生、外国人、観光客、老若男女、家族連れに、団体。
東京、という場所は、ただこの事に尽きると思う。
人が、いろんな人が、沢山、たくさん、たっくさーん、いる。
大きな経済、ビジネスのチャンス、多様な文化、サービスや物資も、ふと感じるどうしようもない孤独も、雑居ビルの隙間のゾッとするような闇も、自然がないのも、ただただ、人がたくさんいからこそ、の産物なんだろう。
そして、アニメやドラマのような、地方にいると現実味のない内容だって、ここ東京では、現実にあっても何の不思議もない、と、思ってしまう。
それくらい奇異な光景を日常で何度も目にする。
電車の中では我先にと座席の争奪戦が繰り広げられ、大学生くらいの人が鼻に指を突っ込んだ後にその指を口に入れたりしている。
駅では、頭から血を流した人が倒れている、とか、スマホいじりながら歩いていた女の子が、突然階段からパンツを丸出しにして転がり落ちたり、とか。
毎朝流れる電車の中のアナウンス。
「閉まりかけたドアに足を挟んだり、傘やカバンを差し込んでこじ開けたりしないようにして下さい。」
東京都内の朝なんて、2、3分、遅くとも5分、10分も待てば次の電車は来るのに、何をそんなに急ぐ?というか、恥ずかしくないのだろうか?
また、ある職場では、一週間、病欠で休んでいた同僚が真っ黒に陽焼けした姿で出社してきたり、かと思えば、とても有能でホープだった上司が突然病気で倒れたり、とか、
レストランでは、隣で食事をしていたおじいちゃんが突然気を失ったり、DJをしてたらしい不動産会社の営業が「今年の目標わぁ、ちょっとビックにしようと思うんすよねー。例えばぁ、1年で友達を100人作るとかぁ。」と、社会人とも営業とも思えないダラダラした姿勢で言ってたりする。
私は呆然としつつ、
「その、あなたの『友達』の定義って?」
と心で突っ込みをいれたりしている。
私も他人に突っ込みいれてる状況ではないのは、百も承知で。
毎日のように、
「漫画かよ。。。」
と、突っ込みたくなるような場面に出くわす。
刺激的なのが楽しい事ならいいけど、残念ながら、目を背けたくなったりゲンナリする事の方が圧倒的に多い。
昔、知人が
「東京は住む場所じゃないよ。お金を持って遊びに行く場所よ。」
と言っていた。
東京の良いトコ取りをするなら、本当にその通りだと実感する。
どんな人生を望むか -東京の良いとこって?-
そんな私は、今、新宿から電車で15分くらいの街で、築4年の27平米程の広さのワンルームに住んでいる。最寄りの駅まで歩いて7-8分くらい。もちろん車は持ってない。
5年前から考えると、ほんとに質素な住まいだ。
それでも、角部屋で、東と南に窓があって、とても明るく風通しも眺めも良い、このまだ新しい部屋は、東京ではとても恵まれた環境なんだろう。
つくづく不思議に思う。
東京の良さって、なんだろう。
東京に来てから、いろんな人に、「東京の良さって何?どんなところ?」と聞いているが、みな、「うーん・・・」と言ったまま黙り込み、答えは返ってこない。
どんな人生を望むか -東京以前-
私は生まれてからずっと、地方都市で暮らしていた。政令指定都市のそこそこ活気のある街で、自然も多く、気候も温暖で、食べ物も美味しく、人も穏やかで、とても暮らしやすくて、私はそんな生まれ故郷が大好きだったので、離れるつもりは全くなかった。
4年前に、突然、東京への転勤を命じられるまでは。
そして、その時、私は、4年後にこんな状況になるとは思いもしていなかった。
4年前、東京への転勤が決まった時、私は生まれ故郷の地方都市で、70平米ほどもある3LDK、駐車場付きの賃貸マンションに住んでいた。
築20年の物件だが、角部屋の東、南向きで日当たりが良く、窓も沢山あって風通しが良く、表通りから1本通りを入った静かな環境。世帯数も7家族と、こじんまりとした、とても居心地の良いマンションだった。
南の窓からは四季によって表情を変える山が見え、北の窓からは新幹線が通っていくのを眺める事が出来た。
バス1本で30分程で街の中心地にある仕事場へ行ける。歩く時間なんて、家からバス停まで3分、バス停からオフィスまで2分くらいだ。それでも家賃は10万円を切っていた。
車ももちろん持っていて、5年落ちの中古の外車に乗っていた。
運転が好きだったので、週末は、愛車のそのマニュアル車に乗って、よくドライブに出掛けた。海の見渡せる公園でテイクアウトのコーヒーを片手にハンバーガーをパクついたり、山のカフェで美味しいピザを堪能したりコーヒーを飲みながら雑誌を読んだり、山中の川の側でピクニックしたり、のんびりと、休日を過ごしていた。
市街地はともかく、東京みたいに何処に行っても人がいっぱい、なんていう事もほとんどなく、高速が東京みたいに渋滞するのは、事故があった時か、よほどのイベントがある時くらいだ。
ひとりの寂しさを感じつつも、とても自由に気ままに、今の東京の暮らしから考えると、とても贅沢な暮らしをしていた。
アラフォー、おひとり、派遣社員。おまけに、給与差押えに、債務整理中ときた。
今の私の状況である。
どうしてこうなったのか、よく分からない。
どういう風に、私は復活して行くのだろう。
ただ、私は、自分を信じている。
私は、必ず、自分の望む生活を手に入れる。
と。
私は、まだまだ、だ。
これからだ。