アラフォーの派遣生活、そして、現在。
東京での生活も5年目を迎え、引越し先の新天地で新たなスタートを切った私の状況は、まさに崖っぷちだ。
会社を辞め、派遣の事務の仕事とレストランのバイトを掛け持ちしながら、この2年間、生命保険を解約し、持っていたブランド物や貴金属、家具や雑貨、雑誌、と、あらゆる物を売り、家賃の安いアパートに引越しして、生活費の見直しをして、何とか生活していけるかと思ったのも束の間、
アルバイトを辞めた矢先の、給与差押さえ。
そして、債務整理。
でも、私は諦めない。
私は、未だに自分を信じている。
私には、生きる資格があるのだ、と。
断捨離は痛く辛い経験だったけど、おかげで、私は、いかに、今まで、自分がどういう人間なのかを知ろうともせずに、世間の情報に振り回されながら生きてきたのかを知ったのだ。
そして、去年末、役所から給与差し押さえ通告が来て、私は、再度、レストランでバイトをしたり、引越し業者のアルバイトや、エキストラ募集の面接を受けに行ったりする中で、やっと、私の天職と思える仕事を見つけ、すぐに面接を受け、平日の派遣事務の仕事の傍ら、週末にその仕事を始めた。
2ヶ月前の事だ。
私は、なんでも物怖じしないタチで、かなりな「当たって砕けろ」精神の持ち主だと思う。
どのくらいかと言うと、パラシュートを背負って飛行機から飛び降りるくらい。
実際、スカイダイビングの免許を取るために、コウノトリ空港に通っていた事がある。
そのくらい度胸は人一倍あるのに、今回、この仕事を始めるのは、物凄く怖かった。出来れば、辞めたい、逃げたい、と、思った。
自分でも不思議なくらいに。
もし、働く必要のない状況だったら、逃げていたかもしれない。
でも、もう逃げるわけにはいかなかった。
2か月たった今、わたしの週末の予定はその仕事でギッシリ詰まっている。
天職は楽しいか、と聞かれると、全くそんな事はない。
飲食店のホールスタッフの方が、気楽で、純粋に楽しんでいたと、思う。
それが今は、仕事に入る前は、毎回、頭を悩ませ、行き詰まりを感じる。
しんどくて、逃げたい、辞めたい、と感じる事もしばしばだ。
仕事が終われば、
ああ、あれも出来てない、これも出来てない。
ああ、ああすれば良かった、こうすれば良かった。
の繰り返し。
感謝されれば、
喜んで貰えて嬉しいと感じるけど、
その思いに浸る余裕もなく、
次に向かう。
ただ、
ああ、これがわたしの本来の姿なのだ。
これが、私の仕事なのだ。
と、感じる。
その仕事をしている間、私は無心だ。
ただ、ひたすらで、ただ、ひとりだ。
終わりやゴールなんて、なく、果てしない。
ただ、延々とトライするだけだ。
でも、そんな事もどうでも良くなるくらい、
「今」
と向き合っている。
私の今、置かれている状況すら、
全て忘れ去る。
そして、
反省や悔いをバネにして、吸収して、
もっと成長するのだ。
こんな未熟な私を必要だと言ってくれる、
大切な人達を、
もっともっと幸せにするのだ。
そう、
心の底から、
生きる情熱のようなものが、
生きようとする思いが、
じわじわと湧き上がるのだ。
それが、私の「天職」だ。
天職だと思う理由がある。
この仕事を始めて、しばらく経ってから、私は、ふと思い出した。
確か、年始の目標として書いた記憶を。
確かに、今、私がしているこの仕事を目標にした内容を。
以前にもブログに書いた通り、私はいつもノートを持ち歩いていて、いろんな事を書き留めている。
去年のノートを引っ張り出した。
2ページ目の一番上に、それは、確かに書いてあった。
その頃、イメージしていた職業そのものではなかったし、私もずっととにかく生き延びるのに必死だったから、すっかり忘れていたけど、確かにその頃目標として書いていた仕事を、私はすでに始めていたのだった。
自分の気付かない内に。
それから、もう1つ。
天職だと感じる理由が、ある。
物事がスムーズに進むのだ。
スムーズに進むだけでなく、何かトラブルが起こりそうになってもすぐに解消されるのだ。
もちろん、1時間前には現場の最寄りの駅に着いているようにするし、必要な事は細かくメモに書き出したり、事前に何度もメモを読み返して確認したり、準備には手を抜かないようにしている。
ただ、忘れ物をしても、電車に乗る前に届いたメールで忘れ物に気付いて引き返せたり、道に迷っても目の前が目的地だったり、天気の雲行きが怪しかったのが、目的地に着いて、建物の中に入った途端に土砂降りになったりだとか、良い人間関係に恵まれたり、幸運に恵まれていると感じる事が多々ある。
もちろん順風満帆なわけでもなく、思い通りに行かない事も沢山あるけど、それはそれでそういう流れなんだろうと、すんなりと受け入れて、あまりこだわらないようにしている。
正しい流れに乗っている、と実感しているからだ。
そして、少しオーバーかもしれないけど、神様が、応援してくれているような、そんな気がするから、だ。
そして。
私は、今日も、最後に残ったブランド物のネックレスを売りに行く。
大した額にならなくても、千円でも2千円でも、今の私には必要なのだ。今週を生き延びるために。
この、ネックレスは、もう、私には似合わなくなったのだ。
次にもっと似合うネックレスを手に入れるために手放すのだ。
そう、心で繰り返しながら。
何としてでも這い上がる。
誰に何と言われようと、私には生きる資格があるのだ。
自由に生きる権利があるのだ。
私は、好きな洋服を着、好きな食べ物を食べ、好きな場所に住み、好きな事をしながら暮らして、生きるのだ。
私は、私自身の人生を享受する為に生まれてきたのだ。
誰が信じなくても、私は私を信じる。
そう、繰り返して。