アラフォーの派遣生活、始まる。
東京での日本の大手企業での仕事で、何をやっていいのかサッパリ分からないまま、2年が過ぎようとしていた。
多くの人がそうだと思うけれど、自分が何かの役に立っているという実感を得られないのは、辛かった。
そのうち、業務縮小の気配が漂い始め、派遣社員の契約がどんどん切られ、組織編成が行われた。私が所属していた業務委託先の会社の社内も雰囲気がどんどん悪くなっていき、私は、「辞めろ」の風が吹いているのを感じた。
地域で幾つかの企業の事務職に着いたが、どんなに自分が頑張りたいと思っても、不向きな職場がある、という事は、経験で知っていた。そういう時は、意固地に頑張ったとしても、空回りするだけで、自分も辛いし、周りも迷惑なだけである。
頑張っても努力しても空回りしてしまう時、今まで順調に進んでいたのが歯車が合わなくなって来た時、そんな時は、環境を変える時だったり次のステップに進むような時だったりする。
環境を変えるのは勇気がいるが、意固地にそこにしがみつくより、思い切って離れてしまう方が、上手くいく事が多い。私の場合。
それを、私は、「辞めろ」の合図と呼んでいる。
そして、ちょっとした揉め事が起こって社内に味方はいないのだと察した時、決めた。
辞めなくては。すぐに。
そうして私は、それから一週間後には、有給休暇消化のために休みに入った。
何が、誰が、悪いわけでもない。ただ、私は私が居るべきではない場所に迷い込んでしまったのだ。周りも迷惑だったろうし、お荷物だったに違いない。
そして、私は出口を見付ける事が出来ないまま、崖から飛び降りたのだ。
大袈裟でもなんでもなく、本当に、あとは天に任せる、という気持ちで、エイヤッと崖から飛び降りるように、会社を辞めたのだ。先の事なんて、考えてる余裕なんてなかった。
それくらい、追い詰められていたのだ、と、今にして思う。
今、こんな状況でいてさえ、それでもなお、会社を辞めた事は全く後悔していない。
そして、その翌月から、私の、平日は派遣社員として事務の仕事をし、週末はレストランのホールスタッフとして働く、という、二足わらじの生活が始まった。
あの日。
徹夜して家に戻り、風呂に入ってから、また出勤するまだほの暗く寒い早朝、まだ交通量の少ない閑散とした通りを歩きながら、今までにない孤独感に押し潰されそうになりながらも、
最後の力を振り絞るかのように、
「私はこんな思いをするために東京に来たんじゃない。幸せになるために来たんだ。もう楽しい事しかしない。絶対に。」
と、その思いをぎゅーっと噛みしめるように誓ったのを昨日の事のように覚えているし、忘れない。
私はまだその思いを達成する途中にいるのだ。