#アラフォー #おひとり #派遣社員 #給与差押え #債務整理中

このブログは、私の復活物語になる。

アラフォーの派遣生活、債務整理の契約手続き。

「任意整理をお願いします。」


蜘蛛の糸だとしても、藁一本だろうと、もう、私がすがりつけるのは、この電話の向こうの弁護士事務所の担当者しかいなかった。


その女性の担当者は、テキパキとこれから行われる手続きについて詳しく説明した後、契約書を作成して送るので、明日以降コンビニのプリンターの側に着いたら、また連絡するように、と言った。


翌日、コンビニのプリンターの側まで来た私は、事務所に連絡をした。

担当者は別の電話に対応中との事だったが、代わりの担当者が、プリンターから契約書をプリントアウトする手順を指示してくれた。


その後、30分ほど契約書についての説明を受け、翌日、私は、契約書の必要項目に記入して印鑑を押し、必要な書類を揃え、事務所へ契約書をファックスした。


これから半年間、私は弁護士事務所に、手数料となるお金を振り込む。おおよそ、今後5年間、返済し続ける予定の、月々の返済額とほぼ同額の金額だ。


この半年間の間に、私の担当の弁護士が、私の借金の中身を整理し、返済の方法や返済の額について債権者と交渉をして、支払いが可能になるような条件の合意を成立させてくれるように働いてくれる。らしい。


交渉が成立しない場合も、ある。


もうこればかりは、弁護士に頼るしか、ない。



アラフォーの派遣生活、債務整理宣告。

債務整理ですね。」


きっぱりとしたその女性の口調からは、もう一刻の猶予もない状態である事が伝わってきた。


「任意整理にしますか、民事再生にしますか。」


債務整理には、3種類あるのは、相談する際にネット見て、知った。


簡単に説明すると、将来の利息をカットし、借金を3-5年掛けて返済していく「任意整理」、住宅などの財産を維持したままで減額された借金を3年ほどかけて返済していく「民事再生」、裁判所に破産申立書を提出して「免責許可」を貰い、全ての借金をゼロにする「自己破産」である。


私は「任意整理でお願いします。」と言った。


あまり借金の額が多いと、任意整理ができないケースもある。

私の場合、本当にその一歩手前だったのだ、と、知った。

気付かない内に、私は、まさに崖っぷちの道を歩いていたのだ。





アラフォーの派遣生活、弁護士事務所に相談。

「借金返済、相談」


そう、画面に入力すると、当たり前だが、弁護士事務所のサイトがずらっと出てきた。


1番上から2、3番目くらいまでのサイトを見て、その中から女性専用窓口のある事務所のページを選び、相談内容を入力して、送信した。

本当に信用していいのか、不安もあったが、もう頼れる手立てもなく、迷っている時間も無かった。


すぐに、受付担当の女性から携帯に電話があり、簡単な説明のあと、相談窓口の担当者から連絡をさせて頂くが、いつがいいかと聞いてきた。

翌日の会社が終わる時間を伝えて電話を切った。


次の日、電話してきた女性の担当者は、いくつのカード会社から、どれだけお金を借りているのか、収入は幾らなのか、月々の支出は何にどれだけ使っているのかを細かく聞いた後、キッパリと言った。


債務整理ですね。」

アラフォーの派遣生活、「借金返済、相談」。

「これは、給与差押えですから。金額の相談なんて出来ないですよっ。」


ピシャッと撥ね付けるように、役所の担当者は言った。


一瞬頭の中が真っ白になった。


本当に一瞬目の前が白くなったので、

うわ、思考が停止すると、本当に白くなるんだ、とか思いながら

もうダメだ。どうなるんだろう、私。

と呆然とした。


契約社員として勤めていた会社で命じられた突然の東京転勤。

東京の生活にも仕事にも馴染めず、2年後に会社を辞めて、平日は事務の派遣社員として、週末はレストランのホールスタッフとして働いていたけれど、住民税を払う余裕がなくて、滞納していた。

1度、役所に出向いて分納の処理をしてもらったのだけど、それでも払えず、そのままにしていたのだった。


その、税金の差押えの通知が来て、あまりに高額だったので、ひと月の負担額を少しでも軽くして貰えないか、役所に相談の電話をしたのだ。


経済状況を説明したが、そんなのは関係ないと、取り付く島もなかった。

あまりのむげな対応に、ムッとしつつ、でも、その時何故か、私は、「私には払える。払える状態になったから、通知が来たのだ。」と、根拠もなく、確信したのだ。


そして、電話口の担当者に同情すらしてしまった。

こんな取り立て屋みたいな仕事、必要とはいえ、どんなに給料が良くても、私なら、したくない。


「分かりました。」


そう言って電話を切ったものの、打てる手は全て打った後で、もう、私にはどうすれば良いのか、分からなかった。

悲しい、とか、ツラい、とかいう感情さえ、もう感じる事も出来ず、ただただ呆然と途方にくれた。


浮浪者になる事も、もちろん考えた。

このまま家を出て、さあ、どうする?

街をあてどもなく彷徨う?


家賃が支払われなければ、家族に連絡が行き、家族が滞納された家賃や税金を肩代わりし、私のアパートの片付けをする事になるのは容易に想像出来た。


家族はどんな気持ちがするだろうか。


寒空をあてどもなく彷徨うのも、今まで助けてくれた家族に迷惑をかけるのも、心の底から嫌だった。

せめて家族に迷惑をかけない方法は何かないかと思った。


でも、どうすれば良いのか分からず、途方に暮れ、呆然と日々を過ごした。


ただ、途方に暮れながらも、ここまで来たら、命が実際に絶たれるその瞬間まで、とことん生きて、生きて、生き抜いてやろう、と、思った。


「その瞬間」はまだ来ていない。


「その瞬間」を、自分の目でみてやる。

「その瞬間」が目の前にやってきて、自分自身で体験する、その瞬間まで、生き貫いてやる。と、腹を決めた。


何かが私の中で、突き抜けた。


私の中で、「恐怖」を「挑戦」に変えた瞬間だった。


思えば、その時、私はようやく、他の誰のためでもない、自分の、私自身の人生を生きる覚悟が、自分の人生に責任を持つ覚悟が、やっと出来たのかもしれない。


どうにかして生き長らえる方法を、孤独の中、暗闇の中を、手探りで探し続けた。


そうして、数日たったある夜、私はネットで、こう、検索した。

「借金返済、相談」

アラフォーの派遣生活、まさかの給料差押え。

そうこうしている内に、本当にまずい状況になってきた。

どのカードも限度額に達してきていた。

本屋で「お金持ちになる法則」の類の本を読んで、「どうにかなるさ。」なんて、気を紛らわしている場合ではなくなってきた。

私は支出の整理を始め、止めれるものは止め、家賃の安いアパートと、時給の良い仕事を探し始めた。

年末前に、ギリギリ予算内で、しかも見事に私の希望条件にハマったアパート物件を見つける事が出来、即契約した。

身内に引越し費用のお金を借り、何とか引越し目処が立ったのと同時に、時給の良い仕事に就く事が決まった。

そうして、なんとか月に9万円の予算を捻出する事が出来たのだった。


これで、何とか乗り切れるかも。


そう思えたのも束の間だった。

年明け、新しい職場にも慣れてきた頃、私の携帯に派遣会社から連絡が入った。


役所から、私の給与を差押えするように通知が来ている。

という内容だった。


アラフォーの派遣生活、休んでる余裕なんてないのに、入院。

派遣とバイトの二足わらじの生活が始まって1年が過ぎた。

事務の派遣の仕事は、半年ほど続けた医療機器メーカーの仕事を辞めて、やはり外資系の出版社に勤務し始めたところだった。

医療機器メーカーはとても良い会社だったけど、上司が辞めたり、コロコロ代わったり、派遣としては安心して働けない環境だと感じての転職だった。

もっと地道に辛抱して働いたら、なんて避難を受けそうだけど、もう私は、決めたのだ。

自分らしく生きる事を最優先にするのだ、と。

それで痛い目にあったとしても、結局人生はトライ&エラーを繰り返しだ。それを受け入れつつ進むしかない、と、開き直ってしまった。


そして、この頃から、そろそろ経済的にマズイな、と徐々に危機感を感じ始めて、家賃の安いアパートを探したり、食費を5円、10円単位で切り詰めるようにした。

そうしたら。

なんと、健康だけが取り柄で、ほとんど風邪もひかず、今まで大した病気にもかかった事のない私が、なんと盲腸で入院する羽目になってしまったのだ。

結局、週末を含めた4日間を入院する事になり、稼がなきゃいけない、休んでる暇なんてないという、この時に、仕事を休む事になってしまった。それに加えて、入院費用、6万円の出費!!

5円、10円単位の生活をしていた私には相当な痛手だ。

薬で散らしてすぐに退院出来たのは不幸中の幸いだったが、あまりの出来事に、すっかりバカバカしくなって、

やめた。

と、思った。

自分に似合わない事をすれば、歪みが生じるのだ、と、この時私は実感した。

薄々感じてはいたけど、どうやら私は、食べ物に関して、無理をしたりガマンしたり、負荷をかけてはいけないらしい。

そして、この時改めて、私は、自分が人生で何を大切にしているのか、について、気づいた。

多分それは、天職か生業に近いものだと思う。




アラフォーの派遣生活、債務整理直前。

そんなこんなあって、エイヤッと、会社を辞めた後、私はすぐにファーストフードの店やホテルのラウンジで働いたりしながら、事務の派遣の仕事を探した。ほどなく、外資系の会社の事務の仕事が決まった。

久々の外資系企業は、居心地が良かった。

私の経験からすると、日本企業と外資系企業の雰囲気は、違う。外資系の方が個性ある人が多く、それぞれその自分の個性を発揮して仕事をしている気がする。一概には言えないけど。そして、私には外資系の方が性に合っていると思う。

その後しばらくしてから、私は家の近くに素敵なフレンチレストランを見つけ、週末はその店で働く事になった。

丸一日休み、ということはほとんどなく、ほぼ毎日働いていたが、生活はギリギリだった。

いや、ほんの少しずつマイナスだったのだ。日々働いて、お金はとりあえず返金出来ていたから、それで良いと思っていた。

あまり考えまい、としていたのだと思う。

どうにかなると、思っていた。

何より、休みはなくても、自分らしく働ける事の幸せをしみじみと実感しながら、これからの生き方を模索するのに必死だった。