#アラフォー #おひとり #派遣社員 #給与差押え #債務整理中

このブログは、私の復活物語になる。

最後の報告、 アラフォー終了。そして、#アラフィフ#脱サラ#天職の二足草鞋生活

私は昨日、45歳になった。


44歳の最後の日、私は天職と思える仕事に関連する、新たな職業のテストを受け、パスした。

来週から本格的に活動が始まる。


天職と思える仕事、パート2だ。

パート1ももちろん続ける。


天職パート1だけでは生計が成り立たないし、アウトプットばかりになって、行き詰まりを感じるし、という時に見つけ、すぐに応募したのだ。

パート1のスキマを埋めて収入を増やし、さらにインプットも出来る仕事だ。


そして、アラフィフになった途端に、天職の二足草鞋生活が始まった。


天職パート1、

家政婦として、日々、育児や仕事に追われて、また加齢や病やいろんな事情が重なって、家事が重荷となっているご家庭に赴き、作り置き料理を作り、ほんの少しの手助けをし、「美味しい幸せ」を提供する仕事。


天職パート2、

料理講師として、料理の楽しさ、家庭料理の暖かさを伝え、共有し、自分自身も新たな知識を蓄え、新たな経験を積める仕事。


このブログを始めるキッカケになった、2月から続いた給与差し押さえの税金支払いもなんとか9月で支払いが終わり、債務整理の方も無事に話がまとまったと、弁護士事務所から連絡を受けることが出来た。もちろん、債務の返済はし続けるが、なんとか払い続ける事の出来る金額だ。


私のこれからの、50代、60代以降もバリバリ現役で活動し続けるための第1歩が始まったのだ。


だから、もうこのブログは終了。


次には、新たな人生を成功に向けて突き進む、アラフィフのブログを始めようと思う。


本当に辛くてしんどくて、何度も泣き崩れそうになりながら、「まだだ。まだ。今泣いちゃダメだ。今は、まだ泣く時じゃない。泣くのは全てを乗り越えてからだ。」と、涙を必死で堪えながら、出口の見えない暗闇の中を、力を振り絞って、重い足を引きずり、一歩を踏み出し続けた、この40歳からの5年間を、そして、毎日毎日感じる恐怖に逃げずに立ち向かい、何としてでも生きるんだ、と、あがき、もがきながら、自分を見つめ続け、自分を信じ続けたこのアラフォー最後の半年間を、私はきっと一生忘れないだろう。


まだまだこれから長く果てしない人生が続くけど、私は、私を信じる事を止めず、自分の人生を生きる事を諦めずに、ここまで辿り着いた自分自身を、褒めたいと思う。


このブログは他の誰でもなく、私自身にとって、一生の宝物になると、そう、思う。


これまで、このブログを読んで下さった皆様、そして、星を付けて下さった方々、私をここまで支え続けてくれた親兄弟、親戚、友人達に、心より感謝を捧げます。


本当に、本当に、ありがとうございました。


私は、これまで受けた恩恵をお返しする為に、次のステージに進む事にします。


今までずっと側にいて下さって、

ありがとうございます。


たくさん、たくさん、ごめんなさい。


多くの無礼、どうぞお許下さい。


そして、


感謝しています。



どうぞ、どうぞ、


これからもよろしくお願い申し上げます。








アラフォーの派遣生活、終了。 そして脱サラ。

天職と思える仕事に巡り会い、派遣の事務の仕事と掛け持ちしていたが、結局、派遣の仕事を辞める事になった。


そう、「脱サラ」したのである。


事務の仕事は社会人になってからずっと生業にしてきたし、派遣先の会社も外資の自由な社風で居心地は良かったし、それなりに楽しんで仕事をしていたので、辞めたくて辞めた訳でもなく、ただ、副職の方が忙しくなり、成り行きに任せていたら、そんな事になったというだけだった。


派遣先は外資でフレキシブルな社風だったので、時短の相談もしたのだが、2人いる上司の内の1人が首を縦に振らず、結局辞める事になった。


私の事を買っていてくれた上司が、別枠で雇用の機会を作ってくれようとしたのだが、うまくいかなかった。


なんとなく、「なるほど、今が自分の進むべき道へ進むべき時なんだな。」と、思って、成り行きに身を任せた。


「『脱サラ』して天職に専念する事にしたのだ」というと、羨ましがられる事もあるが、特に夢もロマンも希望もなく、私にとっては超現実的で、とてもハードな毎日だ。


休みはなく、朝から夜まで働き詰めで、ちょっと空いた隙間時間や、移動時間も、スケジュール管理や顧客対応に終われ、寝ている時間以外は、仕事一色だ。


仕事以外の事を考える余裕などほとんどなく、着るものは毎日ジーンズにシャツだし、腰を落ち着けてゆっくり食事を取る、なんて皆無な生活を送っている。


しんどくて泣きたくなる事もしょっちゅうだけど(しょっちゅうというより、毎日だけど)、他の誰でもなく、この私を必要としてくれているのだ。簡単にギブアップする訳にはいかないし、意地でも出来ない。


しかも、はっきり言って、生計が成り立つ状態ではないのだけど、しょうがない。


今の状況は、私の道を進む上で、乗り越えるべき最初の壁なんだと思う。


ただ、辛くてもシンドクても、大きな日本企業で働いていた時に時折感じていたような虚しさや空虚さ、将来に対する漠然とした不安、は、ない。


そもそも、そんな事を感じる余裕すらなく、ただ必死で今を生きている、という、ただそれだけなんだけど。


会社員だった頃は、暇だったんだな、と、思う。

すごくハードな業務で、「夜10時定時」なんて生活だったけど、雑念だらけだった。


そして、その事を知った今、私は、ただ、私の行くべく道を進むだけだ。


余計な事は考えず、私は生きる事に専念するのみ、だ。


そして、あとは、運命を天に委ねるのみ、だ。

アラフォーの派遣生活、「最後の報告」の前。

アラフォーでおひとり様、そして派遣社員

おまけに給与差し押さえに債務整理


私は、この状況になってから、ずっと

考え続けていた事がある。


いろんな事情を抱え、背負い、重荷に耐え切れず、人生を諦める人も多い中で、沢山のハンディや、数千万円の借金を背負いながらも、それを覆えし、充実した人生を送る人も沢山いる。


この違いは、一体なんだろう、と。

境界線は、一体なんだろう、と。


「あおいくま」


昔、まだ少女だった時代に、何かの小説で読んだ本にあった言葉だ。


あ  焦るな

お  怒るな

い  威張るな

く  腐るな

ま  負けるな


私は、今、ずっとこの言葉を抱えて生きている。


自分を信じる。

他人や周りの状況なんかには、もう振り回されない。


焦らず、腐らず、周りなんてもうひとかけらも気にせず、自分を生きている。

不遜なまでに。


だって、私はまだ生きている。


こんなに阿呆でマヌケで、社会生活を送るのが、こんなに不器用なのに、まだ、ちゃんと生きている。


多くの、気付かないほどのありふれた、愛情や思いやりに支えられて。


私は、物凄く恵まれているのだ。


だから、ただ、ひたすらに、

自分の命の可能性は無限なのだ、

と、信じて、

ただ、もうひたすらに

自分自身を信じきって、

生きている。


希望を持つ必要すら、ない。


自分の命をどう燃やして、

自分の魂をどう磨き、どう輝かせるかは、

自分次第だ。


周りに屈せず、ひねくれたり嫉妬したりイジけたり、そういったつまらない感情は打ち捨てて、ただ、ひたすらに自分を信じて生きる。


もう、ただ、ひたすらに、生き抜くのみ。


私に出来るのは、それだけだ。


私は、世の中をスイスイ生きていけるほど、器用でも賢いわけでもないのだから。


私の、この世に与えられた、この命は、

まぎれもなく、尊いものなのだから。


そう、開き直って。


私が、今、手にしている答え、だ。











アラフォーの派遣生活、そして、現在。

東京での生活も5年目を迎え、引越し先の新天地で新たなスタートを切った私の状況は、まさに崖っぷちだ。


会社を辞め、派遣の事務の仕事とレストランのバイトを掛け持ちしながら、この2年間、生命保険を解約し、持っていたブランド物や貴金属、家具や雑貨、雑誌、と、あらゆる物を売り、家賃の安いアパートに引越しして、生活費の見直しをして、何とか生活していけるかと思ったのも束の間、アルバイトを辞めた矢先の、給与差押さえ。


そして、債務整理


でも、私は諦めない。

私は、未だに自分を信じている。


私には、生きる資格があるのだ、と。


たくさんの痛く辛い思いをした断捨離だったけど、そのおかげで、私は、いかに、今まで、自分がどういう人間なのかを知ろうともせずに、世間の情報に振り回されて生きてきたのかを知ったのだ。


そして、去年末、週末のレストランのバイトを辞めた直後、役所から給与差し押さえ通告が来て、私は、再度、レストランでバイトをしたり、引越し業者のアルバイトや、エキストラ募集の面接を受けに行ったりする中で、やっと、私の天職と思える仕事を見つけ、すぐに面接を受け、平日の派遣事務の仕事の傍ら、週末にその仕事を始めた。


2ヶ月前の事だ。


私は、なんでも物怖じしないタチで、かなりな「当たって砕けろ」精神の持ち主だと思う。


どのくらいかと言うと、パラシュートを背負って飛行機から飛び降りるくらい。


実際、スカイダイビングの免許を取るために、コウノトリ空港に通っていた事がある。


悲しい事に、インストラクターに駄目出しされて、途中で断念したのだけど。


そのくらい度胸は人一倍あるのに、今回、この仕事を始めるのは、物凄く怖かった。出来れば、辞めたい、逃げたい、と、思った。

自分でも不思議なくらいに。


もし、働く必要のない状況だったら、逃げていたかもしれない。


でも、もう逃げるわけにはいかなかった。


2か月たった今、わたしの週末の予定はその仕事でギッシリ詰まっている。


天職は楽しいか、と聞かれると、全くそんな事はない。

飲食店のホールスタッフの方が、気楽で、純数に楽しめていたと、思う。


それが今は、仕事に入る前は、毎回、頭を悩ませ、行き詰まりを感じる。

しんどくて、逃げたい、辞めたい、と感じる事もしばしばだ。


仕事が終われば、

ああ、あれも出来てない、これも出来てない。

ああ、ああすれば良かった、こうすれば良かった。

の繰り返し。


感謝されれば、

喜んで貰えて嬉しいと感じるけど、

その思いに浸る余裕もなく、

次に向かう。


ただ、

ああ、これがわたしの本来の姿なのだ。

これが、私の仕事なのだ。

と、感じる。


私には、これしかないのだ。


その仕事をしている間、私は無心だ。

ただ、ひたすらで、ただ、ひとりだ。


終わりやゴールなんて、なく、果てしない。


ただ、延々とトライするだけだ。


でも、そんな事もどうでも良くなるくらい、

「今」

と向き合っている。


私の今、置かれている状況すら、

全て忘れ去る。


そして、


反省や悔いをバネにして、吸収して、

もっと成長するのだ。


こんな粗だらけの私を必要だと言ってくれる、

大切な人達を、

もっともっと幸せにするのだ。



そう、

心の底から、

生きる情熱のようなものが、

生きようとする思いが、

じわじわと湧き上がるのだ。


それが、私の「天職」だ。


天職だと思う理由がある。


この仕事を始めて、しばらく経ってから、私は、ふと思い出した。


確か、年始の目標として何かに書いた記憶を。

確かに、今、私がしているこの仕事を目標にした内容を。


以前にもブログに書いた通り、私はいつもノートを持ち歩いていて、いろんな事を書き留めている。


去年のノートを引っ張り出した。

2ページ目の一番上に、それは、確かに書いてあった。


その頃、イメージしていた職業そのものではなかったし、私もずっととにかく生き延びるのに必死だったから、すっかり忘れていたが、確かにその頃目標として書いていた仕事を、私はすでに始めていたのだ。


自分の気付かない内に。


それから、もう1つ。

天職だと感じる理由が、ある。


物事がスムーズに進むのだ。

スムーズに進むだけでなく、何かトラブルが起こりそうになってもすぐに解消されるのだ。


もちろん、1時間前には現場の最寄りの駅に着いているようにするし、必要な事は細かくメモに書き出したり、事前に何度もメモを読み返して確認したり、準備には手を抜かないようにしている。


ただ、忘れ物をしても、電車に乗る前に届いたメールで忘れ物に気付いて引き返せたり、道に迷っても目の前が目的地だったり、天気の雲行きが怪しかったのが、目的地に着いて、建物の中に入った途端に土砂降りになったりだとか、良い人間関係に恵まれたり、幸運に恵まれていると感じる事が多々ある。


もちろん順風満帆なわけでもなく、思い通りに行かない事も沢山あるけど、それはそれでそういう流れなんだろうと、すんなりと受け入れて、あまりこだわらないようにしている。


正しい流れに乗っている、と実感しているからだ。


そして、少しオーバーかもしれないけど、神様が、応援してくれているような、そんな気がするから、だ。



そして。


私は、今日も、最後に残ったブランド物のネックレスを売りに行く。


大した額にならなくても、千円でも2千円でも、今の私には必要なのだ。今週を生き延びるために。


この、ネックレスは、もう、私には似合わなくなったのだ。

次にもっと似合うネックレスを手に入れるために手放すのだ。


そう、心で繰り返しながら。


何としてでも這い上がる。


誰に何と言われようと、私には生きる資格があるのだ。

自由に生きる権利があるのだ。

私は、好きな洋服を着、好きな食べ物を食べ、好きな場所に住み、好きな事をしながら暮らして、生きるのだ。


私は、私自身の人生を享受する為に生まれてきたのだ。


誰が信じなくても、私は私を信じる。


そう、繰り返して。










アラフォーの派遣生活、新たなダブルワーク探し。

東京に居るなら、東京だからこそ出来る仕事がしたい。


そう思って、レストランのアルバイトを辞めたものの、その後すぐに、差押えの通知が来て、慌てた私は、また、レストランでの仕事を探し始めた。

何やってるんだろう、と、思ったけど、すぐに収入を得られる、私に出来る仕事は、他に思いつかなかった。

すぐに、働きたいと思えるレストランを家の近くに見つけ、働き始めたが、何かピンとこなかった。いい店だったし、やっぱりホールの接客は楽しかったが、しっくり来なかった。


飲食店で働くにあたって、相性やフィーリングはとても重要だと思う。恋愛に、似ている。どちらかの片思いでは成り立たないし、上手くいかない。


食事と恋愛が密接な関係があるのと、一緒だろうか。好きでもない人との食事より、好きな人と食事をする方が楽しいし美味しく感じる。それが相思相愛なら、尚更だろう。


私は、せっかく働き始めたそのレストランを体調を理由に、すぐに辞めた。


お店の人は残念がりつつ、接客はあなたの天職だと思う、と言ってくれた。


私自身も、そう思っている。


私は、友人がとても少ない。少ない、というより、数える程しかいないのだけど、その少ない友人のほとんどは、飲食関係者、もしくは、食事や料理を、生活の中でとても大切にしている人だ。


やはり、飲食に関係する仕事が私の進むべき道なのだろうな、と、思う。


何か、この東京で、私の能力を活かすことの出来る飲食に関する仕事はないものだろうか。


私は日々、インターネットでアルバイトの検索をした。




アラフォーの派遣生活、そして債務整理中。

「任意整理をお願いします。」


弁護士事務所に債務整理をお願いしてから、3ヶ月経つ。


差し押さえの税金を給与から引かれながら、弁護士事務所に手数料も払いながら、なんとか、生きている。


実は、年末に引越ししたのを機に、1年半アルバイトで働いていたレストランを辞めた。

お客様もとても良くて、心から楽しんで仕事をしていたが、折角東京にいるなら、東京だからこそ積める経験がしたい、とずっと思っていたのと、他のスタッフと折り合いが良くなかったのもあり、引越しを機に、辞めたのだ。


事務の派遣と、カジュアルレストランのアルバイトなら、地元でも出来る。


飲食店で働くなら、何か、東京だからこそ、という場所で、働きたかった。






アラフォーの派遣生活、債務整理の契約手続き。

「任意整理をお願いします。」


蜘蛛の糸だとしても、藁一本だろうと、もう、私がすがりつけるのは、この電話の向こうの弁護士事務所の担当者しかいなかった。


その女性の担当者は、テキパキとこれから行われる手続きについて詳しく説明した後、契約書を作成して送るので、明日以降コンビニのプリンターの側に着いたら、また連絡するように、と言った。


翌日、コンビニのプリンターの側まで来た私は、事務所に連絡をした。

担当者は別の電話に対応中との事だったが、代わりの担当者が、プリンターから契約書をプリントアウトする手順を指示してくれた。


その後、30分ほど契約書についての説明を受け、翌日、私は、契約書の必要項目に記入して印鑑を押し、必要な書類を揃え、事務所へ契約書をファックスした。


これから半年間、私は弁護士事務所に、手数料となるお金を振り込む。おおよそ、今後5年間、返済し続ける予定の、月々の返済額とほぼ同額の金額だ。


この半年間の間に、私の担当の弁護士が、私の借金の中身を整理し、返済の方法や返済の額について債権者と交渉をして、支払いが可能になるような条件の合意を成立させてくれるように働いてくれる。らしい。


交渉が成立しない場合も、ある。


もうこればかりは、弁護士に頼るしか、ない。